講師は大阪大学大学院言語文化研究科に在籍するブー・ティ・トゥ・タオさん。漆黒の長髪にアオザイ姿がよく似合う魅力的な女性で、細い声がよくとおる。演題は「戦後ベトナムの教育と社会― ― とりわけ日本語教育の現場から」。
ベトナムといえば当然、超軍事大国アメリカを相手に長く壮絶な戦いを勝ち抜いたアジアの勇敢な人びとに思いがおよぶ。しかしタオさんによると、ベトナム戦争は遠くなりにけりで、ご自身はもちろん戦後の生まれである。ご両親との会話に戦争が取り上げられることは余りないらしい。最近の学童作文コンクールでも、教科書で教えられる戦争の大義と現実とのギャップに違和感をおぼえる、といった感想がつづられていたとか。そういえばわが国でも先ほど、原爆の体験を語る女性をマンネリ化していると批評して物議をかもした先生がいた。歴史の伝承はいずこも同じ困難に出くわしているようだ。
ベトナム戦後の大きな課題のひとつが教育問題であることは当然だろう。初・中等教育は小学校五年、中学校四年、高校三年の五・四・三制で、識字率は91%とひじょうに高い。
1986年にドイモイ(刷新)政策を導入すると、ベトナムに進出する日本企業が急にふえてきた。また日本からの観光客も数を増してきたため、日本語を学ぶ学生がいまでは2万人をこえるまでになった。学校もいろいろで、国立、公立、私立の他、個人教授など、教材や教師の質にもばらつきがある。この点、改善すべき問題は多く、日本側の適切な協力が望まれる、との結論だった。
ところで美しい日本語でお話しをされたタオさんは、ホーチミン市の社会科学人文大学付属日本語クラスの卒業生である。この日本語クラスが設立された陰には、次のようなエピソードがあった。
現・日越文化協会常務理事の徳田勝紀氏の話によると、第2次大戦末期、氏は当時の仏領印度支那サイゴン(現ホーチミン)市にあった「南洋学院」三回生としてベトナム語を学んでいる最中に軍隊に取られ、終戦となった。戦後の日本は経済大国の仲間入りをしたが、曽遊の地ベトナムは抗仏戦と対米戦で国土は荒廃、経済は疲弊していた。これに心を痛めていた徳田氏らは、「南洋学院」同窓会はなんとか現地に日本語学校をつくって国造りを人づくりの面から助力しようではないか、と呼びかけた。こうして「日越文化協会」が生まれたのだという。その甲斐あって91年、前記の南学日本語クラスを、93年にはフェ師範学校に姉妹校を開設することができた。学費は一切無料、6名の日本人教師が派遣されている。学生の定員は20名、1日5時間で日本語だけの集中教育なので、学生たちの日本語能力はひじょうに高いとのことだった。
当日わたしたちはタオさんの見事な日本語を耳にし、彼女たちを育てた徳田氏らの美談に心をうたれた。かつて旧ユーゴスラビアのノーベル賞作家イボ・アンドリッチは、「人は故郷に恩義がある」という東洋の金言を紹介したことがある。わたしは徳田氏の話を聞きながら、これでベトナムは貴方の(第二の)故郷になりましたね、とつぶやいていた。
タオさんの講演を終始よこから敬愛大学の高田先生が、まるで自分の妹のようにフォローされていた。まことに微笑ましい情景である。講演がおわると、敬愛大学のベトナム留学生さんたちが前日から準備していた郷土料理が出てきた。ホームページにスナップで紹介されているので詳しくは述べないが、イギリスの諺にもあるとおり、まさに「プディングの味は食べてみなければ分からない」。参加者一同、文字どおり舌鼓をうって、ベトナムの夕べを堪能したことだった。
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