「エスペラントと旧ユーゴ」
~菊島和子氏(フリージャーナリスト)~
2005年10月01日 
文責:田中一生 
 


 日本人にはあまり馴染みのないエスペラント語を駆使して、菊島さんは旧ユーゴスラビアと30年以上にわたって付き合ってきた。そこには一般の人びととまったく異なる視点が働いていて、英独仏露語といった大国の言語を通じて接近できるニュース・ソースとかなり違ったエピソードが集積される。また、たとえ現地語を活用できる人であっても、それがセルビア人、クロアチア人、あるいはボスニア人の母語といった制約をともなう以上、この場合の情報もまた多少のバイアスを免れないのである。菊島さんの強みは、この点でおおいに発揮された。

 話はまずエスペラントの歴史から始まった。意外だったのは、人工言語にたいする試みは古来いくつもあったことだ。しかし結局は1887年ポーランドのザメンホフが考案したエスペラントが唯一、実用できる人工言語として広まった。それは習得が容易であり、高齢者でもマスターした人が数多くいるという。

 エスペラントがいかに興味深い特別な言語であるかということは、たとえば国際会議を開いても通訳がいらない、という点にも見てとれる。ではなぜ国連の共通言語として採用されないのか。それは、あらゆる言語はこれを主言語とする国家を背景に、つねに他国民に宣伝拡大しようと働きかけているのに、エスペラントは母国を持たないからである。この特異性は弱点ともなって、国連を構成する列強から無視されているのだ。

 ついで菊島さんは、実際エスペラントを用いて旧ユーゴの諸地方を訪ね歩き、おおくの友人知己から収集した情報はどういうものであったか。また、エスペランチストが紛争地域でなし得ること、出来なかったことは何であるか、といった体験談を語った。

 もっとも菊島さんの豊富な体験の一部は、講演会場の三つの壁を被った多くのパネル(写真、図と解説)によって知ることができた。そこには、エスペランチスト、ジャーナリスト、障害者支援活動家といったさまざまな顔をもつ菊島さんが、国際的人工語を武器にごく普通の立場でごく普通の人びとと平和を築きあげるため、うまずたゆまず努力している感動的な出会いが、次々と展開されているのだった。内戦状態にあったセルビア、クロアチア、ボスニアにも難なく(と言えるほど簡単ではなかったろうが)接近して、日本人ならでは出来ない役割を演ずることもあった。だがそれはあくまでも特別なケースであり、平穏な一般庶民の交わりにもっとも有効な手段となり得るところに、エスペラントの強みがある。

 菊島さんの活動で特に感心させられたのは、こうして体験し、あるいは蒐集した情報のあれこれを日本の学校その他で発表していることだ。その時は重いパネルを持って、現代の語り部よろしく、彼女はエスペラントを通して見た世界の人びとを、熱っぽく紹介して歩くのである。
     
 
     
 
     
     
 
   
 
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